愛の証明
離婚するとして、生活の実態が何も変わらなくてもよいとしたら、結婚とは結局なんなのだろう?
結婚という形態をとることが、結婚と言う名前を付けることが、相手にとって苦痛を与えることなら、いくら自分や社会的に意味があるとしても、やはり続けることはできない。
そんなことより重要なのは、私達が、“結婚”に拘らなくてもよいという共通認識を構築できるかもしれないということだと思う。
人に言っても理解されるとは思えないし、理解してもらえるとも思えないけれども、彼にとってとても大切なことなのだから、それは私にとっても大切なことなのだ。
私が永遠に理解できない彼の世界を、ほんの少し除くことが出来る小さい鍵を手に入れた気がする。
普通
たまたまつけていたテレビでphaさんという存在を知った。
自分にできるかできないかは置いておいて、自分が最近抱えている不安の答えを提示してくれたような気がして、とても救われた。
働きたくないと素直に言えることの凄さ。ああ、こういう生き方もあるんだなって。こういう選択肢もあるんだなって。
自分がマイノリティって自覚を持って、それを主張することができる(そして異なる人たちを攻撃することもない)柔軟性。
社会に馴染めないと言いながらなんとか疎外されないように日々取り繕って過ごす自分には、とても眩しかった。